国際ワークキャンプ経験談(バングラデシュ)

■『サイクロン被災地緊急救援キャンプ(2008年1月1日〜14日)』

◎ はじめに

 2007年11月にバングラデシュ南部を巨大サイクロン”SIDR(シドル)”が襲いました。被害区域は広範囲に及び、全国64県のうち3分の1以上にあたる25県が被害を受けました。被害の大きかった地域の中のランガバリとボルグナの2ヶ所で行なわれた『緊急救援ワークキャンプ』に参加しました。
 参加者は15名(バングラデシュ8名、イギリス、フランス各1名、ドイツ2名、日本3名)。

 年末の30日にSCIバングラデシュ本部のあるマイメンシンでオリエンテーションを行なったあと、翌日の31日に、みんなで一緒にマイメンシンを出発。チャーターした車で首都ダッカへ行き、ダッカから船で川を下って、翌1月1日にランガバリに着きました。船上で年を越し、初日の出も船から見ていたわけです。8日にランガバリからボルグナに移動。14日にボルグナを出発して船で川を上り、15日にマイメンシンに着いて、解散となりました。

◎ ランガバリ(1月2日〜7日)

 ランガバリでは、現地の様子について事前によく把握してなく、ワークの内容も決まっていませんでした。1日かけて状況調査の為にふた班に分かれて村の中を回り、夜のミーティングで、どんなワークをするかについて話し合いました。
 その結果、
「サイクロンの被害は大きく、家を失った家族が多い。その中に体に障害を持った少女のいる家族があることがわかった。父親の職業は漁師だが、サイクロンで仕事道具を失ってしまい仕事ができなくなった。障害を持つ者が生活するのはただでさえ大変なのに、家を失ってしまうとその苦しみは大きい。我々は予算も時間も限られていて全ての人の家を建てることは不可能だが、明日からこの家族の為に家を造り、その様子を周辺の住民に見てもらうことで、みんなに復興への希望を持ってもらいたい。」
ということになり、その家族の為に家を建てることになりました。地元の建築家に仕事を依頼し、我々は彼らと一緒に建築作業をしました。建築現場では、子供を含め多くの村人が周囲を取り囲み、作業の様子を見ていました。

 また、別の集落での状況調査の結果、家が75件ある集落で、75件の家全てが破壊されていたことや、その集落にはまともなトイレがひとつもないことがわかり、その集落に25個のトイレを作ることになりました。トイレ用の穴は地元の方々との共同作業で掘りました。
 

◎ ボルグナ(1月9日〜13日)

 その次に行ったボルグナは、事前にSCIにメンバーが現地を訪れ、現地のNGOと打ち合わせをして、ワークとしてトイレ作りをすることが決まっていました。が、そこのNGOに準備しておいてもらうはずのトイレの材料(コンクリート製)をまだ作っている途中でした。その為、その材料作りを手伝うことからワークが始まりました。

 同時に、リーダーら数名は状況調査の為に出掛けました。近くの村に(この国ではマイノリティである)ヒンドゥー教徒の集落があり、そこではきちんとしたトイレや井戸がないため、そこにトイレとポンプ式の井戸を作ることになしました。
 翌日からのワークで、トイレ用の穴は地元の方々と一緒に掘りましたが、井戸掘りに関しては、専門の業者に作業を依頼しました。空気圧を使って約15mの深さまで掘削するのですが、専門的な技術を要する作業の為、我々はほとんど見ているだけで、ほんのちょっと手伝いました。
 最後、トイレの材料がのコンクリートがやっと乾いてきたので、「とりあえずひとつでもいいからトイレを完成させよう」ということで、比較的よく乾いた材料を選び、近い家に運んで設置しました。やっと、ひとつだけトイレを完成させられたわけです。

◎感想

 2週間のワークキャンプで離れた2ヶ所に行ったこともあり、移動や調査の為に時間が取られてしまったり、事前に地元のNGOに依頼していた準備が充分できていなかったりで、実際にワークできる日数が少なく(各4日ずつ程度)、仕事が中途半端になってしまった感は否めません。それが残念です。

 たくさんの家屋が倒壊するなどの大きな被害の出た地域で、少人数で限られた時間で限られた予算でより多くの人々の役に立つ支援活動をすることは難しいことです。ワークの中心であったトイレ作りが、この地域の衛生環境の改善に役立つことを希望します。

 ランガバリで家の建設作業をしていた日に、1度そこの家族に昼食をご馳走になりました。我々の食事の為に飼っていた鶏を1匹つぶしてくれて、おいしいチキンカレーを作ってくれたのです。あまり現金収入のない家庭で、売ればいい収入になる鶏を提供してくれた、その心遣いにとても感謝しました。

 バングラデシュの方々は、子供も大人もとてもフレンドリーな人が多いです。外を歩いているとしょっちゅう声を掛けられ、立ち止まって話をしていると周りに人垣ができ次から次へと話しかけられることは日常茶飯事でした。茶店に誘われてお茶をおごってもらうこともよくありました。いままでいろんな国に行きましたが、あんなにもフレンドリーな国は初めてでした。

■「黄金の国の生活」(2009年)

 3月12日から19日まで、バングラデシュ ランガマティのミズホラのワークキャンプを無事に終えました。
 
 キャンプの作業は、①セメントの粉、レンガのブロックを運ぶ②小学校の校舎の基礎をコンクリートで補強する③校舎に天井を取り付ける、作業をした。私はキャンプ参加に5日ほど遅れてしまい、①の作業は1日だけ参加ができた。

作業の状況は、私を含め海外の参加者は3名いたが、バングラデシュのメンバーが中心となって作業をした。時折、現地の子供たちが作業を手伝った。子供たちが積極的に話しかけてきたので、ベンガル語を使ういい機会だった。

食事は、朝食は市場ですませ、昼飯と夕飯は民家ですませた。メニューは、朝食はルティー(ナン)、野菜のカレー。昼飯と夕飯はご飯、豆のカレーが必ずあり、野菜、肉、魚のカレーのどちらか一つがでた。ルティーとカレーのトッピングは歯ごたえがあり、野菜のうまみがありましたが、唐辛子が少し辛かったです。昼飯と夕飯のご飯は、箸でつかみにくいほどパサパサしていましたが、カレーと一緒に食べれば美味しい。豆のカレーは日本の味噌汁のようなもので一日に必ず食べます。味は、豆の味よりも、スパイスの味が強く、食べやすい。野菜カレーは、さっぱりとして、ルーがあまりなく野菜炒めのカレー味といったところ。肉のカレーは、お肉のコクがあり、日本のカレーに一番近い。魚のカレーは、魚がカレーと合っていて美味しい。しかし、魚の臭みがあるので、なれていない人にはあまり美味しくないと思う。

作業後の自由時間は全員で市場に行き、生活用品の買い物をして、紅茶を飲んで休憩をした。市場にいるときも、現地の人が気軽に話しかけたので、ベンガル語をマシンガンみたいに話しまくりました。

キャンプの近くにある大学でお祭りが開かれていたので、メンバー全員で参加して、外国人の私と他の2名はステージに座ってお祭りを見ることができた。私は、ベンガル語の歌を歌うことができるので、ベンガル語の歌2曲と日本語の歌1曲歌いました。歌っている最中は、観客が拍手と肩でリズムを取ってくれたので、ライブハウスのような雰囲気で、気持ちが良かったです。

 今回のキャンプは、去年のキャンプ参加とは違い、カルチャーショックで落ち込まず、英語や多少のベンガル語でコミュニケーションをとることができ、キャンプを円滑に進められた。それからの課題は、バングラデシュの問題に対して、自ら問題解決の鍵を与えられる行動をとる。例えば、親がいない物乞いの子供たちの生活を、親がいる子供たちと同じにする。学校がない地域に仕事をつくる。できる限り、やってみます。すばらしい体験の機会を、ありがとうございました。

■「小学校修復作業」(2009年)

 2週間の予定だったランガバリでの小学校修復作業ですが、現地の子供たちのおかげで、予定よりも早く終えることが出来ました。
日中30℃を越える暑さで、ハードな作業。
バングラ人、フィンランド人、日本人、母国語はみんな違うのに、英語だったらみんなで話が出来る事を不思議で嬉しいなと思いました。 宗教の濃さも実感・・
言葉も、宗教も異なる人種が同じ目的で働くことによって、こんなに近くに感じることが出来るんだなと感動・・
生き方も考え方も違うメンバーが毎日同じ食事をし、信じられないくらいオープンな井戸でお風呂を済ませ、協力し合わなければいられない環境の中、私はメンバーに毎日助けられていたように思います。
最初は他の人と同じように外国人である私たちを珍しそうに見ているだけだったバングラメンバーでした。
現地の人も日が経つにつれ積極的に私たちを知ろうとしてくれたし、バングラメンバーも常に近くに居てくれてすごく頼りになりました。
私は「言葉よりも行動による・・」というSCIの考え方が大好きになりました。この言葉は本当に体験を通して実感するものだなと思います。一生懸命な姿は誰かが見てるし、サボろうと思えばいつだって出来るけど、それじゃ自分が嫌だなと・・私は歌をうたうためにバングラに来たわけじゃないし、子供と遊ぶためでもない。目の前にある作業に打ち込まなければならない。暑いとか、汚れるとか言えない。バングラメンバーが頑張っている姿を見たら。
自分に出来ること、それはとても小さなことではあるけれど、行動によってこの気持ちが伝わっていればと思います。

 バングラで過ごした3週間、毎日が私にとっては衝撃的で刺激的だったと思います。バングラの激しい格差とはこのことだったのかと実感しました。
道を歩けばお金をたかられるのが日常で、小さな子供がパンツ一枚でゴミをあさる姿。
きれいな服を着ている事が申し訳ないような・・・TVや本で知っていたはずなのに実際に目で見ると、あまりの驚きで何もできない自分がいました。お金を渡すことが本当に良い事なのか、食べ物をあげることが本当に良い事なのか、分かりませんでした。それはいまだに分かりません。
私自身、気持ちの余裕もなかったのだと思います。
この子だけにあげるとかあげないとか、そんなことを私は決めることができなかったんです。 
豊かな人、そうでない人、見ればすぐ分かります。豊かな人は太っているし、着ているものがきれい。
足のない人が手で歩きながら乞う姿、子供が障害者をカートに乗せてそれを押しながら乞う姿はショックでした。
だけどこの国ではこれが現実で当たり前の光景なんだなと思うと、さらに遣る瀬無い気持ちになりました。
ベンガル語が分からない私に向かって手を出し、分からないふりをすると私に触って自分のおなかを指差し、お金や物を乞うんです。小さな子供からお年寄りまで。
町はゴミだらけ、水は茶色い井戸水。
言葉も通じない国で、誰を信じて、誰を疑えばいいのか・・難しいなと思いました。
日本から飛行機でブーンとひとっ飛びで来てしまったバングラは日本にいては想像もつかない国でした。
同じアジアなのにどうしてこんなに違うんだろうと・・   
日本はきれいで物が溢れる国ですが、それを豊かと言えるんだろうか?何も持たなくても生きている人はたくさんいる。生きる最小限のものとは何か?何が幸せなんだろう・・とも。
私は自分の幸せを確認するためにバングラデシュに行ったわけではありません。それでも、日本は良いところだなと思います。生きやすい生きにくいは別として。
  

 バングラメンバーのAjazが言っていました。「この国には日本人のあなたには理解しがたい問題がたくさんある。だけど人を助けるのにはたくさんのお金よりも、大切なのはエナジーだと信じてる。」
この言葉がとても印象的でした。
バングラメンバーの大学生のひとり、Anwarに私が「どうしてこのボランティアに参加したの?」と尋ねたところ彼は「僕は豊かなわけではない。持っているのはエナジーと野心だけ。この国が好きだから、少しでも良い方向に進めばいいと願う」と話してくれました。
 
私がたった3週間で見たバングラはほんの一部でしかないと思います。
思ったこと、感じたことを一人吐き出してしまいました。長々とすみません。最後まで読んでいただきありがとうございました。

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syoji - . 2月 10, 2009, 8:11 pm | コメントは受け付けていません。