SCIとは

 SCI(サービス・シビル・インターナショナル)は、世界44カ国に支部やグループを持ち、それぞれの国で平和運動を行なっている国際的なNGOです。各国のSCI支部がそれぞれ独自のプロジェクトを持ち、国際ワークキャンプ、長期ボランティア等の活動をしています。年間約300ヶ所で開催される国際ワークキャンプなどのボランティア活動を通じ、共に生活しながら様々な立場の人々が互い理解を深め尊重しあうことを学び、世界平和の実現に寄与することを目的としています。

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■ SCIの歴史

◎ 誕生

 SCIは、1920年、第一次世界大戦後のヨーロッパに生まれました。

 長年続いた悪夢のような戦争のため、当時のヨーロッパはいずこも廃虚と化していました。愛児を、夫を妻を、そしてなつかしいふるさとの山河を失い、廃虚にぼう然と立ちすくむ人々は「もう二度と戦争をしてはならない」と誓いました。多くの平和のための会議が開かれ、議論が戦わされました。しかし、万言がつ いやされた後に、こうした試みも次第に時と共に下火になってゆきました。

 そんな中、 スイスの名もない技術者で平和主義者だったピエール・セレゾールは、言葉や話し合いの中からは本当に強い建設的な平和は生まれないと深く反省し、平和主義者や良心的徴兵拒否者や反戦主義者と共にSCIを設立しました。その理念は、営利を目的としないプロジェクトを支え、平和を目指した活動を行うというものです。
 ピエールは友人の助けを得て、大戦中に独仏軍が激しい戦闘を行ったために完全な廃虚と化したフランス北部ヴェルダン近郊のエスヌ(Esnes)という小さな村に、各国から呼びかけに応じて集まった人々と共にキャンプを開き、黙々と村の再建作業のために働きました。ドイツ人と見れば黙っておれず、悪口をい い、石を投げた村の人々も、深く罪をわびる気持ちと堅い平和への意志を持って働くドイツの青年を見て、根深い憎悪も次第に消えて行きました。

 SCIを創立したピエール・セレゾールとエレーヌ・モナスティエは、共に働くことのみが、互いの理解を深めるのだという信念を持っていました。それ故、SCIでは、ボランティア達が共に生活し学び働く中で、様々なものの見方やライフスタイルや文化的背景があることを知っていく場を提供しているのです。これこそが、やがては平和に至る道であると見ているのです。

 彼らが投じたこのささやかな実験の一石は心から平和を求めるヨーロッパ各国の人々の間に大きな反響を呼びました。そしてこの時 以来 「Peace not by words but by deeds(言葉より行動によって平和を)」のもとに、この運動の火は第二次世界大戦の戦火にもめげず、世界の平和を愛する人々の心の中に燃え続けてきた のです。東西冷戦時代にも政治体制とは関わりなくいろいろな国で東西の人々が集い、共に汗を流しながら相互理解を通して平和への思いを語り合ってきました。

◎ 1920年−1930年

 国粋主義や人種排斥主義に対して激しい反対運動がヨーロツパ、特にドイツ、イギリス、スカンジナビア諸国に拡がりました。その時代にあっても、最初に作られたSCIの規約に、“倫理的に国家間の戦争を不可能にするような新しい精神を人々を分かつ国境を越えて拡げていかなければならない”とあります。

 1930年までは、ほとんどのワークキャンプは、戦争や自然災害で被害を受けた人々を援助する活動でした。

 1924年には、二度にわたって大きな自然災害を受けたスイスの村の再建のためにワークキャンプが行われました。1928年には、同じようなプロジェクトが、洪水被害を受けたリヒテンシュタインで行われ、20カ国から700人のボランティアが参加し、その期間は8ヶ月にわたりました。

 1930年には、ワークキャンプに新しい視点が加わりました。イギリスの失業鉱山労働者達の指導の下に、ボランティア達は、鉱山の村に公共のスイミングプールを建設しました。これは、社会構造的暴力と戦うという意図を持ち、ワークキャンプ活動の新しい展開となるものでした。

◎ 1934年−1939年

 ヨーロッパで国粋主義、再軍備、人種的憎悪を煽り立てる運動が拡大していく中で、平和運動は急速に衰えていきました。この困難な時期、ごく僅かな組織のみが活動を続けていました。その中には、イギリス、スウェーデン、スイスのSCI支部がありました。ピエール・セレゾールと共に数人のボランティアが、インド、ビハール州にSCIのプロジェクトを組織し、1934年〜1937年まで活動を続け、地域の住民と協力して大洪水の被害を受けた村の再建をしました。インドとヨーロッパのボランティアが手を携え、共同プロジェクトを組織したのは、これが最初でした。

 1936年7月、スペイン市民戦争が勃発しました。この戦争による被害は甚大なものでした。複数のスイスの機関が難民委員会を組織し、食料や援助物資が集められました。短い期間ではありましたが、SCIもバレンシアとマドリードを結ぶ輸送作業、疎開児童のために食料輸送をしました。共和主義者側の支持を得て、妊婦のための食事サービス、衣類の無料配布センターを設置し活動しました。フランコ将軍側の勝利、共和主義者側の敗北をもって、スペインにおけるSCIの活動も終わりを告げました。1939年9月、第二次世界大戦が始まると共に、SCIは活動の停止を余儀なくされました。

◎ 1940年−1945年

 イギリスでは、“平和のための国際ボランタリーサービス(International Voluntary Service for Peace.IVSP)”が、爆撃を受けたロンドン市の再建のため、良心的徴兵拒否者を組織しました。

◎ 1945年以降

 第二次世界大戦後、各地域で数百に上る再建プロジェクトが設定されましたが、その多くはそれまでにSCIの支部のない国々でした。この頃、国際ボランタリー活動の考え方が定着し始め、1945年、パリで、国際ボランタリーサービス調整委員会(Coordinating Committee for International Voluntary Service, CCIVS)が、クェカー団体、SCIおよび幾つかの組織の参加によって設置されました。
 CCIVSは、ユネスコのメンバー機関となっており、今日では、200を超える団体から構成されています。

 1940年代後半、SCI運動はヨーロッパを越えて、先ずアルジェリア、チュニジア、モロッコ、その後、インド、パキスタン、スリランカ、ネパール、日本、さらにその後、西アフリカ、南アフリカまで拡がりました。

 1950年代以降、大きな努力を払ったことのひとつが、中欧および東欧諸国との青年交流プログラムを創出することでした。このような国際的な出会いを契機として、いわゆる“冷戦時代”にも西側と東側双方に存在する偏見を払拭し、冷戦下の社会的、政治的状況の影響を受けた若者の間に相互理解を促進していくことが、その意図するところでした。

 今では、ヨーロッパ、北アメリカ、アジア、オセアニアの36ケ国に、非営利の平和主義ボランタリー組織として、存在しています。さらに、世界中で、40以上のパートナー団体と連携し、新しく設立された平和運動団体やパートナー団体を、彼らの政治的、社会的立場が安定するよう支援することも目的としています。

 各国支部は、SCIの規約に基づいて、独立して活動を行っています。活動の目標を決めることも、プロジェクトの選択も自由です。それ故、各国支部のプログラムは、支部の独自性を示すばかりでなく、その国の抱えている経済的、社会的構造や政治的問題を反映しています。

■過去のワークキャンプ(1920年〜1981年)

■ 目的

『国籍、人種、階級、宗教、性別、信条などの違う人々が建設的な共同作業の場としてのワークキャンプを通し、共に生活をすることによって、お互いの文化、習慣、価値観の違いを理解し、尊重することにより、社会的な障壁や心のなかにある偏見、憎悪等を打ち破り、人々が平等に、幸せに生きられるような新しい考え方、生き方、世界観を各々が創造し、実践していく。』

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