共同プロジェクト立ち上げの為の現地調査

 プロジェクトを立ち上げる前に現地住民が抱えるより高いニーズを把握するため、SCIバングラデシュとSCI日本による共同調査が企画されました。そこで、SCI日本から長田と池田、SCIバングラデシュからアジャスの計3名が調査隊としてバングラデシュ南部ボリシャル地区内へ派遣される運びとなりました。ボリシャル地区は『シドル』の被害を最も大きく受けた地方のひとつでありました。調査の期間は10月13日〜11月4日で、『シドル』にて甚大な被害を受けたボリシャル地区内のランガバリ地方とモウドゥビ地方の中の12地域が対象となりました。

 調査の主な内容は、地元住民へのインタビュー、当地域既存サイクロンシェルター・学校・病院等見学、建築用土地候補特定でした。今回の調査では、70名の住民にインタビューを実施しました。

 ○ 『シドル』襲来時の詳細

 2007年11月の『シドル』襲来時について、地元住民の話をまとめると以下のようになります。

 『シドル』は、突然やってきました。正確には、あらかじめサイクロン接近の警告は出されていたものの、テレビやラジオなどを持たない住民が圧倒的に多く、警告を聞くことができなかった方が多数でした。また、中にはテレビを所有している知り合いからサイクロンの接近を聞いていた住民もいましたが、過去において幾度となく予報が外れたいした被害を受けてこなかったため、今回の『シドル』に関しても特別な対策を必要としないと判断したようです。

 具体的な当時の様子は以下のとおりです。
 夜、強風が吹き荒れていたときのことです。突然、津波のような水が一気に押し寄せ、あっという間に浸水が始まりました。強い波が浸水の水位を数回に分けて高くしていきました。
 水位が上がっていく中で、住民は水から逃れられる場所へ急ぎました。大きく分けると、水が歩行不可能な高さまで達するまでにより安全な場所に間に合った住民と、間に合わなかったが結果的に助かった住民の2つに分けられます。
  前者が避難した場所は、次の4つがありました。

 1つめはサイクロン対策のために作られた施設
 2つめは川に沿って作られた堤防
 3つめは川から見て堤防の外側にある、高くて丈夫な家
 4つめは高い木の上

 1つめのサイクロン対策のために作られた施設は、さらにシェルターとティラに分けられます。シェルターは、バングラデシュ建国以降世界中のさまざまなNGOによって建てられ続けている2階建て以上のコンクリート製の高床式建物で、水にも風にも耐えられる設計になっています。規模にもよりますが、500人から1000人の収容能力があります。常時は主に学校として使用されています。今回の調査の中では、13人がここに避難しました。一方のティラは、主に70年代に赤新月社によって作られた大きなドーナツ型の丘で、ドーナツの丘の部分に家畜を置き、ドーナツの内側に人間が入るようになっています。規模にもよりますが、1,000人から3,000人の収容能力があります。常時の使い道がないこと、設置に莫大な土地を要することから、作られなくなってしまったようです。今回の調査の中では、11人がここに避難しました。

 2つめの堤防は、高波・洪水・サイクロンなどの対策として、主に大きな川に沿い、土を小高く積み上げて政府が設けたものです。堤防の上や川から見て堤防の外側であれば、比較的浸水の恐れは少なくなります。常時には住民の主要な道路として使われ、集落と集落を結ぶ役割を果たすこの道路なしには、主な陸上の交通手段 の移動範囲は極端に狭くなることになります。また、牛や水牛といった大型家畜を一度に大量に歩かせることのできる唯一の道でもあります。今回の調査の中では、8人がここに避難しました。

 3つめの高くて丈夫な家は、言い換えると地域の比較的裕福な家、もしくは権力者の家ということになります。そもそもこれらの家は危険度の高い堤防の川側ではなく、水が浸入しにくい反対側にあります。今回主にインタビューの受け手となった住民の持ついわゆる掘っ立て小屋に比べ、しっかりとした作りとなっています。このような家は比較的大きく、収容人数も数百人単位であるようです。具体的なそれらの家の持ち主としては「金持ちの家」「コミュニティリーダーの家」「元コミュニティリーダーの家」「女性コミュニティリーダーの家」という声が上がりました。今回の調査の中では、10人がここに避難しました。

 4つめの高い木は、自宅近くに位置するヤシなどの丈夫で高い木や、政府が防波林として植林した木を指します。調査中よく耳にしたのは森林省の活躍です。実際調査地に行く途中や調査地にて政府が植えた木々をいたるところで見ることができました。上記3つの場所に比べると比較的数は多いです。1本の木に複数人が登ることもできます。今回調査した人の中では、下記の結果的に助かったものを含め、20人がここに避難しました。
 一方の後者である「結果的に助かった」者は、唯一の例外を除き、水に流されたものの流される中で幸い木の枝をつかんで木に移動ができたものが全員です。そこに至る過程は2つに分かれます。1つめは、上記の前者で述べた、より安全な場所への移動中に流された方々です。2つめ、は自宅の屋根の上に避難すること、もしくは小型ボートに乗ることで応急処置をしたものの、家の崩壊やボートの転覆によって流された方々です。唯一の例外は、流されたが山羊の死骸に乗りそのまま気絶し、翌日陸の上で山羊の死骸の上に横たわりながら意識を戻したという方がいました。
 住民たちは以上の方法で暗い夜を過ごし、朝を迎えるのを待ちました。

 ○ 『シドル』による直接的な被害

 今回の巨大サイクロン『シドル』によりバングラデシュで甚大な被害が出たことは、すでに記述したとおりです。被害の甚大さは今回の調査地も例外ではありませんでした。
 『シドル』の直接的な被害については以下のとおりです。

 今回の調査地でも多数の死者や行方不明者がでましたが、350人の人々が亡くなったチョルヒアでは、妻と娘を亡くした住民が、その痛ましい記憶を涙ながらに語ってくれました。自分の目の前で妻が波にさらわれていったというものであり、これは今回のインタビューの中で、肉親を亡くした住民の唯一の話となりました。
 家屋については、インタビューの聞き手全員の家が、半壊もしくはそれに準ずるものを答えた10名を除き、全壊でありました。全壊の中でも、波や流れが土台以外すべてを奪っていってしまったという声がほとんどでした。中には土台さえも無くなってしまったという声さえも聞かれました。
 家畜に関しては、インタビューの聞き手大半の家畜が全滅という回答でした。家畜を鎖から放す余裕がなかったことや、家畜小屋のドアを開ける余裕がなかったこと、野放しにされていた家畜も高波や強い流れにさらわれたことが原因に挙げられます。一部の家畜が生き残ったと答えた住民も7件ありました。それら家畜たちは、強い流れの中で木の枝に偶然引っかかって生き残ったそうです。
 道路に関しては、上述の堤防がいたるところで崩壊し、道としての機能を果たさなくなりました。また、堤防以外の小さな小道や木をつなぎ合わせた簡易な橋も大部分が無くなってしまいました。

 ○ 『シドル』による間接的な被害

 次に、『シドル』の間接的な被害は以下のとおりです。
 まず、さまざまな病気が蔓延しました。特に脅威となったのが食中毒をはじめとした下痢、とりわけコレラによるものです。また、流感や皮膚病・目の伝染病なども同じように流行しました。これは、『シドル』の影響で井戸水以外の水が極端に不衛生になったことや、『シドル』によりトイレの数が極端に少なくなってしまったことなどにより発生・蔓延したものと思われます。

 ○ 『シドル』後の生活の変化

 多くの住民が、「貯金や収入が減るなどして生活が苦しくなった」と答えています。主な原因は大きく分けて4つあります。
 1つめとして挙げられるのは、『シドル』により失われたものの再購入です。政府やNGOからの復興支援では得られなかったものに関しては、自らの資金で買い直さなくてはなりませんでした。彼らの多くは、家を建てるための資材調達や生活用品および商売道具の再購入を余儀なくされ、貯金を取り崩さざるを得ませんでした。
 2つめとして挙げられるのは、『シドル』により以前のように仕事ができなくなり収入が減ったことです。商品として家畜を飼育していた住民は、既述したように家畜を失いました。池で魚を養殖していた住民は、池が溢れたため魚の数も極端に減りました。漁師はボートと網を流されて商売ができなくなりました農民は塩気のある水が田畑に入ったため塩害を被り収穫が著しく減りました。自動二輪車の運転手はしばらく道が復興しなかったため、その間仕事ができませんでした。