基調講演(久野先生)

この会の目的としては、プログラミングがどう教育に役立つか、実際の授業はどうなっているかを知ること。

情報処理学会の簡単な歴史と教育に関わる活動の紹介、情報科目の試作教科書の案内。(サンプルが回覧された)

コンピューターシステムやソフトウェアに関係する事件を取り上げられた。

・構造計算書の偽造は、改ざんできる出力データを原本にしたのが問題。入力データを添えればいいではないか。

・1円61万株誤発注問題、フィギュアスケート採点ミス事件は、人間のミスを想定せずにシステム設計したのが問題。

→これらの事件は、情報システムに関するきちんとした理解がないから生じているのではないか?システム発注側にセンスある人材がいないために、とんでもないシステムができあがっている。

→→初等中等教育からプログラミングを重視した教育をするべき。ただし、「プログラミング」という言葉は抵抗があるようなので(excelのマクロなどを含む概念である)「手順的な自動処理」と表現している。

試作教科書では現行の情報A,B,Cをふまえて、情報I,IIの形で再構成している。特にプロジェクト管理の導入やプログラミングの具体的な体験を可能とするような内容にしている。

しかし、プログラミングを教えることにはかつてのBASIC教育を彷彿とさせ抵抗が大きい。「国民全体がプログラマになる必要がない」「プログラマにならないならプログラミングを学ぶ必要がない」といった誤解、曲解が横行している。(理科の「でんぷんのヨード反応」実験は、生徒を全員化学者にするためのものではないことと同じ)

プログラミング教育が必要な根拠としては、

・プログラミングはコンピューターの原理や構造を理解するのに必要不可欠であり、それを体験することで効果的に得られる。

・初等中等教育でプログラミングを学ぶのは世界的な常識で日本はひどく立ち後れている。国際会議でも海外の教育者に心配されてしまう。

・国民全体の情報水準を引き上げるためにもプログラミングは必要。

あとは昨年度のワークショップの内容紹介と、教育用言語ドリトルの設計についての解説があった。

会場からの質問、コメントとしては、

・初等幾何学を学べばプログラミングなんて理解できる。そっちをやったらいいじゃないか。という反論にどう答えるのか?

・人間の情報処理とコンピューターの情報処理は違う。なぜその点をふまえた内容にしないのか?

・ワードやエクセルを使うことと、プログラミングを体験することの本質的な違いはあるのか?

・試作教科書では基礎的な知識の詳細(例えば2進数)が欠けていて大学入試の試験問題が作れない。

会場に韓国の大学生が来ていたので韓国の状況が話された。

・かつては小中学校でBASICが教えられていた。最近はあまりやってない。やっているところはVisual Basicになった。

基調講演の感想としては、プログラミングを一つの「能力」のようにみなしていることに違和感を覚えたことと、プログラミングの教育とプログラミング言語の教育を同一視、あるいは不可分な関係と見ているような感じを受けたことでしょうか。

全体の共通理解の土台を築く目的で始められた基調講演でしたが、情報教育とプログラミングの関係がいまいちわからなくなったような気がしました。これは昨年も受けた印象ではありますが。